モーツァルト・モデルン演奏会

日時2004年12月25(土)~26日(日)
場所第一生命ホール
指揮宮野谷 義傑
朗読中山 忍(女優)
演奏曲
  1. チャイコフスキー 弦楽セレナード
  2. モーツァルト ディベルティメント第2番、第3番
  3. アダージョとフーガ
  4. アヴェ・ベルム・コルプス(アンコール)
  5. ウェーベルン 弦楽四重奏のための5つの楽章 Op.5 他

前回の藤岡弘、さんに続く朗読と音楽のコラボレーションの試み。中山忍さんの誠実な朗読と、繊細で機微に富んだモーツァルトの音楽、そして、モーツァルトの貧困と病気に喘いだ苦しい生涯のエピソード。絶妙のコラボレーションだったと思います。

今回、演奏の中心になってくださったエラン弦楽四重奏の皆さんの音楽に対する真摯な姿勢は特筆すべきものでした。二日連続という体力的にも厳しいコンサート でしたが(本当は更に一日二回公演だった!?)、チャイコフスキーの弦楽セレナードやモーツァルトなど、心がこもった隙のない音楽を作れたと思っておりま す。改めてメンバーお一人お一人に御礼申し上げます。

ライブレコーディングのCDが発売されていますので、ご興味のある方は是非ご購入ください。

立川管弦楽団 第48回定期演奏会

日時2004年12月12日(日) 14:00開演
会場立川市市民会館(アミューたちかわ) 大ホール
演奏立川管弦楽団
指揮古谷 誠一
演奏曲目
  1. メンデルスゾーン/交響曲第3番「スコットランド」
  2. デュカス/「魔法使いの弟子」
  3. ショーソン/交響曲変ロ長調
チケット1,000円(全席自由)

クラリネットで参加。

私は今回、デュカスとメンデルスゾーンの2ndを演奏しました。デュカスは私が今までクラリネットで吹いた曲の中で最も難易度の高いもので、相当に苦労しま した。自分のクラリネットの腕の拙さを痛感しました。そして、あれだけの音を使いながら、ひとつも効果的でないところはないデュカスのオーケストレーショ ンの素晴らしさを改めて感じました。メンデルスゾーンは私が最も愛している作曲家の一人です。特に2楽章の旋律が好きです。ですが、聞くのと演奏するのは 大違い。本当に神経を使いました。

2004年11月のご挨拶

モーツァルトモデルンちらし画像
いよいよ本格的な秋の到来です。「食欲の秋」「芸術の秋」「読書の秋」。食欲は季節的にも生理的にもよく分かるのですが、、芸術、読書はどうして「秋」なのでしょう。夏は暑いし、冬は寒い、春は・・花粉が飛ぶからでしょうか?
み なさんは「芸術」といえば、まず最初に何が思い浮かびますか?このホームページを見てくださっている方の多くの方は、「音楽」かもしれません。その他に も、絵画、文学、陶芸、彫刻、演劇、舞踊、それぞれ独自の、そして無限に近いほど表現の幅を持っています。つくづく、人間の創造力はたくましいものだと感 じます。

「音楽」はとても特殊な芸術だと私は常々感じています。音楽は「音」による芸術です。ですから音楽は目に見えません。触れることも できません。、音楽は一瞬に限られた空間でしか存在できません。録音をしたとしても流れている音楽は時間の中にしか存在できないことにかわりはありませ ん。人はなぜ音の集合体である音楽に感動するのか、長調はなぜ明るく、短調はなぜ悲しく感じるのか、今も解明されてはいません。本当に不思議な芸術だと私 は思います。
音楽は「再現芸術」であることが大きな特徴です。絵画や彫刻、文学の場合、人は作品そのものに触れて共感をすることができま す。しかし、音楽の場合、作曲家が残したものは楽譜です。楽譜を読んで感動できる人は本当にわずかな人たちだけです。そこで音楽にはどうしても再現する作 曲家とは別の立場の人間が必要になります。それが私たち演奏家です。

演奏家の立場は、文学で言えば「朗読者」、演劇で言えば「俳優」にあた ります。作品を作った人の伝えたかったことを自分の感覚を通して理解し、自分の持てる表現力の限りを尽くして、聞いている人、見ている人に伝える、この意 味で音楽と文学の朗読、演劇は共通していると私は思います。ですが両者には決定的な違いがあります。言葉には意味があるためイメージが束縛されますが、歌 詞のない音楽には直接的な意味がないことです。だからこそ音楽は難しいとも言われますが、そうではありません。直接的な意味がないからこそ、感じ方は自由 なのだと思います。自分の心に直接響いてきたことそれぞれが答え、真実なのだと私は思います。「歌」は意味を持つ言葉と、直接心に響く音楽の両面をあわせ 持っているために、もっとも多くに人に愛される芸術なのだろうと私は思っています。

芸術の一番おおきなテーマは「共感」にあると私は思って います。作品を作った作家、作曲家、画家たちとの共感、再現している演奏家、俳優への共感、そして「芸術」を通して普段真摯に見つめることのない自分の心 を見つめなおす自分への共感。作曲家と共感する喜び、聴衆の皆さんに共感していただける喜びを両方味わえる演奏家の立場を私は本当に幸せだと感じていま す。
12月25日・26日にモーツァルトの作品を中心に、音楽と中山忍さんの朗読を織り交ぜた新しい形でのコンサートを行います。ぜひモー ツァルトとの共感、不肖私たち演奏家との共感、朗読される中山忍さんとの共感、そしてご自身の心と向き合うためにご来場いただければ幸いです。

2004年10月のご挨拶

こんにちは。やっと晴れ渡りましたね!本当にうんざりするほど今月はよく雨が降るものです。出かけ るときに限って土砂降りの雨、台風。1ヶ月近く入院した時以来、久しぶりに、自分が太陽によって生かされていることを痛感しました。今月後半は、気持ちの いい日が続いてほしいものですが、もう次の台風が顔を覗かせているようです。

先日、メジャーリーグ、マリナーズのイチロー選手が前人未到の 年間262安打を達成しました。これまでのシスラー選手の記録を抜いた瞬間を、幸いテレビで見ることができたのですが、ものすごい大歓声の中、今まで真剣 な表情を崩さなかった彼が、本当に嬉しそうな表情になったとき、マラソンのゴールシーンのような感動を感じて目が潤んでしまいました。(当のイチロー選手 は泣かないのに)

長いシーズン、毎日毎日続く野球人生の中の1球1球、走塁の一回一回、身体のコンディションも精神力もベストを尽くして、 ヒットを一本一本積み重ねてきた結果であることを思うと本当に頭が下がります。プレッシャーや気合、失望といったものをあまり表に出さない彼も、スランプ のときや記録達成の前には眠れないこともあったと彼は明かしています。決してプレッシャーや不安を感じないのではなく、彼はいつも真正面に向き合って戦っ ていたのだなと知りました。
イチロー選手は、誰もが認める練習の虫だそうです。そして、練習の後、チームメートがあきれるほど長い時間をか けて、毎回自分のグローブを磨いているそうです。集中力、感謝の気持ち、こういったことを日々の繰り返しの中で忘れないことが、イチロー選手の素晴らしい 点ではないかとおもいます。

私の敬愛する指揮者小林研一郎先生は、こう仰っていました。「私たち指揮者は自分で音を出さない。演奏者の方に 音を出していただかなくては成り立たない。だから、指揮者はせめて、棒の一振り一振り、正確に、かつ、全身全霊を込めて振らなくてはならないんだよ。」 と。またこうも仰っていました。「私たちの演奏する音楽は、自作のものでない限り、当然そこにあるものでは決してない。昔の作曲家が魂を削って作り上げた もので、それを多くの人が受け継いで、今われわれの手元にあることを忘れてはならない。」と。先生はずっと、コンサートもリハーサルのときも、指揮台に上 がる前には一礼をされます。先生もまた、日々の中で自分の信念を忘れずに、積み重ねていらっしゃる方だと思います。

口で理想を言うのは簡単 です。人を批評することはたやすいことです。ですが、甘えることなく自分を見つめて反省をすることは、勇気が要り、本当に難しいことです。相当の体力、気 力が必要なことだと思います。さらに日常を重ねていく中で常に持ち続けることは本当に至難だと私は思います。
イチロー選手は、記録達成の瞬間も涙をすることがありませんでした。これは、まだ自分がゴールに達したとは少しも思っていない、まだ戦いの最中であるという自覚があるからなのでしょう。国民栄誉賞の打診も、野球人生が終わるまで辞退すると発表したようです。

私も自分にでき得る範囲内で、何かを積み重ねるべく、日々戦っていこうと思います。

2004年9月のご挨拶

こんにちは。先月は真夏日の連続記録、そして今月は台風の上陸数の記録更新と異常気象が続きましたが、ここ数日穏やかなようで安心しています。風も日に日に涼しくなって、虫の声も聞こえるようになってきました。
話題は変わりますが、このところ、立て続けに子どもの命が犠牲になる悲惨な事件が相次ぎ、心を痛めています。ロシアのテロ、愛知一家殺害事件、栃木兄弟誘拐殺人事件、虐待による死、自殺・・どれだけの命が奪われたことでしょう。

子 どもはあらゆる可能性に満ちています。これからたくさんの人と出会い、学び、恋をし、誰かの心の支えとなり、家族を持ち、そしてなにかを成し遂げる、その 無限の可能性を、大人の都合で閉ざしてしまうのです。子どもたちは社会的弱者です。大人の庇護を必要としています。誰もが子どもの時は多かれ少なかれ大人 に守られて成長してきたのです。それが昨今、子どもたちは守られるどころか、民族紛争や戦争などの大人の都合により殺され、複雑な家庭環境等の犠牲とな り、挙句に大人の性欲や精神ストレスの受け皿にすらされてしまう現況を見逃していて、果たして私たちは本当に「大人」といえるのか、「社会」といえるの か、痛切に疑問と無力感を感じます。

私は、「生きること」は「伝えること」であると考えています。自分自身の感覚、感情、信念を人に、なに かしら表現して伝えることが「生きること」であると考えています。子どもは親の分身とよく言いますが、まさに子育てこそ、その「伝えること」の最も根源た るものだと思います。生物学的な遺伝子レベルから、ちょっとした言葉遣い、立ち振る舞い、生き様にいたるまで、子どもは知らず知らず親から伝えられ、自分 のものにしていきます。伝えられたことはたとえ親が死んでしまったとしても、その子どもの中で大切に受け継がれ、生きていくものなのです。

そ してこの「伝える」ということは、たとえ自分の子どもでなくとも十分起こりえると思います。学校の先生、塾やピアノの先生など教える立場の者は言うまでも なく、日常のちょっとしたすれ違いでも、子どもと向き合うこと、接することは、大人にとって何かを伝えるチャンスであると私は考えます。その子から発せら れたメッセージを受けとめてあげること、その子に対する愛情、人間や生き物への優しさ、何かに打ち込む頑張り、あきらめない姿・・。そんなたいそうなこと でなくてもいいんです。微笑みかけるだけでも、見守るだけでも、もっとも大切なこと、人の温かさは伝わると思います。

私は2歳で事故に遭い ました。でもそれは過失で、人の悪意ではありませんでした。事故にあったおかげで、不自由になったおかげで、たくさんの人の優しさ、温かさに触れて、ここ まで幸せに生きてきました。共稼ぎや離婚など大人のやむをえない事情で子どもが寂しい思いをしている今こそ、身体の不自由でない普通の子どもたちにも、社 会的にもっと包んであげる心構えが大人に必要であると私は思います。

音楽を生きがいにする身として、子どもたちにどういう音楽をどう伝える かは大きな課題だと思います。ただ親しみやすい音楽を聴いてもらうことだけでは足らないと思います。(導入には当然必要ですが。)音楽は心、感情と連動し ます。作曲家や演奏家との共感を生みます。音楽の持つメッセージをどう伝えていくか、その機会をどう作っていくか、課題として取り組んでいきたいと思います。

最後に、今回のような事件で、無念にも愛する子どもを失われた方々に、心よりお悔やみ申し上げるとともに、二度とこのような事件が起こ らないよう、忘れ去られることのないように、辛いことであろうと思いますが、その無念さを多くの人に伝えていっていただきたいと願ってやみません。

2004年8月のご挨拶

こんにちは。暑い日々が続いておりますがお元気ですか?今年、東京は都心部で7月6日から「真夏 日」(昼間の最高気温が30℃以上になった日)が38日連続(8月12日時点)となり、気象庁が大手町で観測を始めた1923年以来、95年の37日(7 月23日~8月28日)を抜いて記録更新となったそうです。

「記録更新」といえば、今年は「オリンピック」の夏です。毎回、さまざまな種目 で、努力、集中力によって作られてきた驚異的とも思えた過去の記録が、塗り替えられて、大会新記録、世界新記録が生まれていく様をみると、世代を超えて積 み重ねられた経験と努力による人間の進歩のすばらしさをつくづく感じます。

それと同時に、オリンピックで「自己新記録」を、出すことができ る選手たちにもつくづく感服します。4年間積み重ねてきたもの全てをかける大舞台で、自分の最高の姿を表現できる精神力がすばらしいと思います。どんな舞 台でも、自然に身体が動くように練習や経験を積めば積むほど、そこから冷静な判断と自信を得ることができます。しかし、逆に積み重ねたものが大きければ大 きいほど、失うことへの恐怖、失敗、ケアレスミスへの不安、そして周囲への期待から来るプレッシャーに押しつぶされそうになることも事実です。そんなプ レッシャーに打ち勝つヒントを、最近スポーツ選手の表情や言葉から得ることができました。キーワードは「信念」「勇気」「感謝」です。(会社の壁に貼って ありそう・・ですが)これからの音楽人生の中で、そして音楽に限らずちょっとした困難に遭遇した時に、思い起こせたらと思います。

まず、 「信念」。自分の目標を最後の最後まで見据えて、あきらめないこと。集中力こそが、不安や恐怖が脳裏によぎることを防ぐ最も大きな手段だと、私は思いま す。スポーツでも、演奏でも、思いもよらぬミスに動揺し、そこから崩れていってしまうことがあります。そんなときにも、自分の目標はいったい何なのか、再 度確認して最後まであきらめないことが、結果を導くのだと思います。
そして「勇気」。さまざまな勇気が必要だと思います。信念を貫く勇気。 周囲の期待に惑わされず、等身大の自分を認める勇気。その中で印象的だったのは、テニスの杉山愛選手の言葉にあった「自分の未来を信じる勇気」です。「特 に根拠があるわけではないけれども、自分は将来、必ず目標に到達できると信じている」と彼女はインタビューの中でおっしゃっていました。彼女には遠く及ば ない自分ではありますが、でも私も共通の思いがあります。自分は他人の人生を生きることはできない、自分の人生しかない。その人生、必ず自分の望んだ方向 に進んでいくと、根拠はないのですが、私もそう信じています。そしてこれからも、もっと強く自分を信じていこうと思います。

最後のキーワー ドは「感謝」です。柔道の谷亮子選手が「今、柔道をできることに、周囲が支えてくれていることに感謝している」とおっしゃっていたときに、彼女の強さの秘 訣を感じたように思いました。一流のスポーツ選手も、一流の音楽家も共通していることは「表情が輝いていること」です。今、自分が好きなことに没頭できる 環境に感謝し、心から楽しんでいるから表情が輝いているのだと思います。「ピンチの時こそ、自分をアピールするチャンス到来と思って感謝する」という長嶋 茂雄氏の言葉もすばらしいと思います。(この方にプレッシャーは無縁な気もしますが・・)困難なとき、不安なとき、この「感謝」の気持ちを忘れがちです が、自分の壁を乗り越えるチャンスだと思って、チャレンジできることを感謝して、立ち向かって生きたいと思います。

今月はずいぶん長い文章 になってしまいました。読んで下さり、ありがとうございます。(ぜひ、ご感想をメールでお送りください)年に1回といった大きなイベントや、大人数の人前 といった状況に陥ると私たちはプレッシャーを感じるわけですが、思えば人生の一瞬、一瞬がそのときし来ない唯一の機会ですし、人目のない時など本当はない はずです。日常の細かいことでも、常にベストを尽くすように、かといって身体的、精神的に無理をするわけでもなく、ただ前向きにチャンスを生かしていきた いと思います。

がんばれ、日本!がんばれ、一瞬に賭けてきた選手たち。

2004年7月のご挨拶

いよいよ、暑い夏がやってきました。もう30回近く夏を迎えているはずなのに、「夏とはこんなにも暑いものだったかな...」と思ってしまいます。体温調節がうまくいかない私は、クーラーを発明してくれた人に感謝しなければいけない日が続いています。

夏 になると、私は毎年、小中学校時代を過ごした地、文京区の千駄木に無性に帰りたくなります。その当時の友達も年を重ねるごとに減って、行く度ごとに淋しさ も覚えるのですが、当時住んでいた家。今はもうなくなってしまいましたが、近所のたたずまいは今も変わっていません。そして毎日通った学校までの道のぬく もり。車椅子で通っていたので、道の傾斜すら懐かしく感じます。そして小学校、中学校。商店街の雰囲気。坂の上からの眺め。中学校を卒業して、15歳のと き高校の近くへ引っ越したので、あれから14年。自分の原点に帰るたびに、安心感と前に進む勇気をもらっています。

実は音楽も、似たような ことがあります。なじみのない人にとってはただ長いと感じられるクラシック音楽も、ほとんどの場合、原点に帰ってくる瞬間があるのです。例えば、交響曲な どでも多く用いられるソナタ形式。冒頭で印象的に歌われた部分(提示部)が紆余曲折(展開部)を経て、必ずもう一度戻ってきます(再現部)。人それぞれ、 音楽の味わい方があると思いますが、私はこの再現部に戻ってくる瞬間が言葉では言い尽くせないほど、その音楽ごとに深い感動を覚えます。無論、銀行の キャッシュサービスの機械のようにただ同じことを何回も言われるのでは、感動をするはずもありません。帰ってくるまでの紆余曲折の過程が劇的であればある ほど、冒頭のテーマが戻ってきたとき、深い感動を覚えるのです。これは、作曲家それぞれが最も苦心し、工夫を重ねた部分の一つだと私は考えるので、いかに この「回帰」を深く表現できるか演奏では心がけています。音楽を聴くときの、一つのポイントとして耳をそばだてていただければ幸いです。

今年の夏、(といっても8月・9月になりそうですが)千駄木に帰ったとき、自分の中に何を見つけられるのか、楽しみです。

立川管弦楽団 第47回定期演奏会

日時2004年 6月27日(日) 14:00開演
会場立川市市民会館(アミューたちかわ) 大ホール
演奏立川管弦楽団
独唱
  1. ソプラノ:山田 英津子
  2. メゾ・ソプラノ:菅家 奈津子
  3. テノール:角田 和弘
  4. バリトン:藤原 眞理
指揮茂木 大輔
演奏曲目
  1. ベルリオーズ/劇的物語『ファウストの劫罰』から「ハンガリー行進曲」
  2. ドヴォルザーク/『スターバト・マーテル』抜粋
  3. ブラームス/交響曲第3番ヘ長調 op.90
チケット1,000円(全席自由)

2004年6月のご挨拶

今年も梅雨の季節がやってまいりました。毎年、入梅、梅雨明けの時期が早くなっているようですが、 今年はいつからりとした夏が来るのでしょう。ここ数年、夏は個人的な事情により、屋内で勉強をしなくてはならず、心底夏を楽しむことはできていないのです が、(今年も8月末までその予定ですが)それでも、雨の多い季節が一日も早く終わってくれるといいなと思います。(何しろ、車椅子は運転しながら傘をさせ ないので・・・)
そんな暗い話題だけではなく、6月といえば「ジューンブライド」、先日、オーケストラの後輩の結婚式にご招待いただきまし た。そういえばこのところ、旧友や後輩の結婚式にご招待いただくことが多くなってきました。今まで共にすごした親友や後輩の結婚式はまたひとつ取り残され たようなそんな一抹の寂しさもありますが、やはり、それぞれの人生の大切な一日となるおめでたい式にご招待いただけることは、この上なくうれしいことで す。新郎新婦の「その人らしい」人柄と真心のこもったおもてなし、ご両家の方々の心配りがあり、懐かしい友人との再会があり、そして何より幸せそうな(最 初少し緊張気味でしたがw)新郎新婦の笑顔がある本当に素敵な結婚式でした。披露宴でオーケストラの仲間と共に演奏する機会がありましたが、お二人に負け ないよう一拍一拍心を込めて振らせて頂きました。婚姻の女神で主神ゼウスのお妃であるヘラ(ギリシャ語でJuno)からきているといわれるジューンブライ ド。今頃ヨーロッパに新婚旅行中のお二人の末永い幸せを心より願っています。
今回の結婚式を経て改めて、音楽を提供する身として、コンサー トなど演奏の場で「おもてなしの心」を忘れてはならないように思いました。私はコンサートは、ただ楽譜を音楽にする場ではないと思います。単に今までの練 習の成果や演奏技術を聞かせる場でもないと思っています。コンサートは、一期一会でその場に集まった聴衆の皆さんに、「音楽」を聴いて楽しんでいただく場 であり、音楽をする者は(特にプロは)そこに力を注ぐことを忘れてはならないように思います。
 ここで申し上げているのは一般受けをするメジャー なプログラムを組む、有名演奏家を招くといった大衆迎合的なものではありません。(もちろんそういった企画も必要ですが・・)私は、今までの既成概念や習 慣に縛られるのではなく、「お客様により深く音楽を楽しんでいただきたい」という気持ち、信念をもって演奏する人・団体の個性、演奏環境、演奏する音楽の 特徴を十分に生かすことで、音楽をより魅力的に提供するよう努めていくことが重要なのだと思います。このことは一見当然のことのようですが、クラシック音 楽業界の現状を考えると、作曲も、演奏でも、そしてCD産業でも大変重要で奥が深い問題であるように思います。
私も演奏の規模を問わず、与えられたひとつひとつの機会に、自分ができる最善の音楽表現・音楽の提供の仕方を、模索し続けていきたいと思います。

2004年5月のご挨拶

ロストロポーヴィッチ氏との写真
こんにちは。みなさんG.W.はいかがお過ごしになりましたか?気分転換に旅行に出かけた人、ゆっくり身体を休まれた人、大切な人と一緒に時間を過 ごした人、普段したいのにできないことを楽しめましたか?逆に、皆さんが休日を楽しまれるために、休日の方が忙しいお仕事の方もいらっしゃると思います。 その方々は今頃やっとお休みが取れているのかもしれませんね。

私も以前、サラリーマンをしていた時期があります。会社に勤めていた時はあん なに貴重で時間が過ぎるのが惜しかったのに、今こうして自由の身(!?)になると、その自由の時間のありがたみを感じられなくなってきていることに、とて も危機感を覚えています。特に平日暇で何もすることがない、というわけでは決してありません。個人的には、それぞれコンサート、練習日、その他音楽以外に もいろいろ目標があり、それに向かって準備をしているのですが、平日、休日の区別もありません。練習、本番、レッスンなど予定の入っている日はともかく、 その他の日は当然、会社の休憩時間ように与えられた時間枠がないので、どうしても生活にメリハリをつけることが難しくなってしまっています。これは、会社 勤めをされている方にとっては、本当に贅沢な悩みだとお考えになると思います。(私もそう思います)でも、会社勤めをしていた時の方が、アフターファイブ や休日の限られた「時間」を、大切に過ごせていたなぁ・・と思い、反省しています。

「自由」や「時間」とは本来、誰かに与えられたり、制限 されたりするものではないと私は思います。(唯一与えられた時間の制限は「寿命」なのだと私は思います。)とはいえ、現実ではその人の環境、立場によって さまざまな制限がついてくることも事実です。しかし、身分制度や差別のない今のこの日本の環境であれば選択する自由は誰もが基本的に持っていると思いま す。自分の時間の中に、しっかりメリハリをつけることができるようになることが、本当に自分の時間を謳歌できる「自由人」になる条件なのだなぁと今さらな がら思います。
音楽にも似たような感覚があると思います。音楽はただ漫然となんの抑揚もメリハリもなく流れていたのでは、味も素っ気もあり ません。限られた曲の範囲内で、曲のテンポ、表情、強弱にメリハリを作曲家の意図を参考にしながら、自分でつけていかなくてはなりません。これは、至極当 然のように感じられますが、実際演奏された方ならどなたも感じたことがあると思いますが、本当に難しいことです。メリハリをつけたつもりでも、傍から聴く とそうは聞こえていないことも多くあります。メリハリをつけるということは、普段以上の覚悟が必要なことも、生活の中のメリハリに通じる部分があると思い ます。

一日一日、反省することばかりですが、めげずにくよくよせずに、でも水に流すことなく、与えられた「限りある時間」を謳歌したいと思います。

ざま弦楽アンサンブル 第8回ふれあいコンサート

日時2004年4月18日(日)
場所ハーモニーホール座間 小ホール
演奏ざま弦楽アンサンブル
指揮宮野谷 義傑
演奏曲
  1. ロッシーニ ウィリアム・テル序曲
  2. ヴィヴァルディ 調和の霊感 No.11
  3. メンデルスゾーン シンフォニアNo.11

第1回からお付き合いさせていただいているざま弦楽アンサンブルとの演奏会も年2回ずつのコンサートを重ねて、ついに8回目に至りました。今回は不肖私が司 会も受け持たせていただくことになりました。その場ではあまり緊張していないつもりでしたが、あとで振り返りますと、ところどころで噛んだり、早口になっ てしまっていて、本当にお恥ずかしい限りです。(アンサンブルのメンバーの方は学校の先生をされている方が多く、いつもお話が上手でいらっしゃるのです) 棒だけでなく、トークのほうもより一層修行しないといけないなと思いました。
音楽のほうですが、メンデルスゾーンでは練習ではうまくいって いた場所が崩れたり、本番ならではのアクシデントがありましたが、その危機を一丸となって乗り切った気迫と集中力がよかったように思いました。(アクシデ ントはあってはならないことは当然ですが)最初のプログラム、ウィリアム・テル序曲は大変好評でした。

今後は年1回のコンサートにされるということで、より充実した音楽を作っていけるよう、精一杯指揮を務めてまいりたいと思います。

2004年4月のご挨拶

こんにちは。今月も更新が遅くなってしまって、ついに桜が散ってしまいました。
今年 は咲く時期は早かったようですが、寒い日が何日かあったせいか随分長い間、我々の目を楽しませてくれたように思います。私は音楽をする人間には珍しく、あ まりお酒をたしなむ方ではありませんが、(特に指揮者という人種はお酒が好きな人が多いと聴いたことがあります。)花見をすることは大好きです。一年の区 切りとして桜は正月、誕生日と同じくらい時の流れを感じさせてくれます。

「桜前線」という言葉があるくらい、日本人にとって桜は特別な存在 です。それは歴史上「散る美学」として利用された悲しい歴史があるからであり、だからこそ桜は好まないという方もいらっしゃいます。そういう意見を伺う と、心ならずも若くして戦死していった人たちの思いに胸が痛くなります。神社の境内に咲く桜の古木を見ると、昔はどんな人がどんな思いで見上げたのだろう と悠久の歴史を感じることもあります。小学校の一時期や浪人決定した時、会社を辞めて最初の春も、私は、咲き誇る桜が好きでなかった時もありました。周囲 がすべて華やいで見えて、花見をしている人たちも楽しそうで、自分の孤独感を一層引き立たせられるように感じていました。自分ひとり、世界から取り残され ているようなそんな気持ちになったこともありました。

中学校の時の国語の授業で、何かの詩を勉強している時に先生が「春が寂しいという気持ちが分かりますか?」という問いにクラスの中で自分ひとりが手をあげたことを今でも思い出します。

で もこの数年、自分の気持ちに余裕が出てきたのか、桜を見る時、そして桜の下で楽しそうにしている人たちを見ると自分もなんだか嬉しくなれるようになりまし た。年齢を重ねてきたせいでしょうか、昔見上げた桜を思い出す時もありました。小学校入学式の時母と見上げた、校庭の入り口にある桜、大学時代に仲間と花 見をした構内の桜並木。入社2年目、会社の近くの公園で昼休みに一人で見上げた桜。そのときの嬉しい気持ち、楽しい気持ち、不安な気持ち、淋しい気持ち、 忘れていたその時その時の思いを彷彿と懐かしく思い起こさせてくれる大切な機会であるように思います。来年は、10年後は、どんな思いで桜を見上げるのだ ろうと思ったりもします。すべての人が来年の桜も、心も身体も健康で見上げられるよう祈って止みません。

さて、今月はざま弦楽アンサンブル のコンサートが18日にあります。(もうほんとうにあとわずかですね。)今回は私が司会を務めることになりました。楽しいコンサートになるよう、精一杯務 めます。ウィリアム・テル序曲を弦楽で演奏する試みもあります。ざま弦楽アンサンブル、オリジナルの演奏です。ぜひぜひ聴きにいらしてください!

2004年3月のご挨拶

日々、日差しが暖かくなってきていますが、皆さんはお元気ですか?

今月は私の誕生日 のある月です。ついに私も20代最後の誕生日を迎えることとなりました。歳を重ねると誕生日がおめでたくなくなるとよく言われますが、29年という歳月を 皆さんと共に温かく過ごせましたことを、心から感謝したいと思います。先日、中学校時代の同窓会がありました。この歳になるとみなさん忙しく数人しか集ま ることができませんでしたが、14年ぶりの再会は本当に嬉しいものです。みんなそれぞれ大人の男性、女性になっているのに、どこか笑顔や口調、そして雰囲 気が当時のまま。どうしてこんなにも嬉しいのかと自分でも不思議なくらい心が沸き立つ時間でした。ついつい年甲斐もなく夜通しで飲んでしまいました。(い や、まだまだ体力はあるのかも!)もうすぐパパになる友人、奥さんになる友人、自分のお店をしっかり経営している友人、自分の仕事に誇りを持っている友 人、当時と変わらず温かな友人、今も昔も最高のエンターティナーな友人。そして心ならずも亡くなってしまった友達。それぞれの人の14年間に思いをはせな がらも、自分が一人ぼっちではなく、ちゃんとどこかでみんな頑張ってた事実に改めて気づいて嬉しかったのかもしれません。みんな自分の足で自分の道を踏み しめてる、そんな姿が眩しかった。(ずっと逢っていない友人の方、ご連絡お待ちしています!)

私は小学生、中学生の時、「自分は薄命」説を 信じていました。自分がまさか30代を迎えようというこの歳まで生きていると想像していませんでした。その時その時、精一杯楽しく、精一杯やれれば、それ で悔いが残らなければいいと、当時そう思っていました。今思えば、それは自分の将来への責任逃れや計画性のなさにつながっていて、刹那的な考え方は反省す べき点も多いことは事実です。ですが、振り返ってみてこれまでの29年の人生、本当に幸せなものであったと思っています。心ある多くの人に囲まれ、自分の したいことを、たとえ少し遠回りであったとしても貫いてこれたことを感謝しています。

20代最後の誕生日を迎えるにあたり、残された時間はどのくらいであろうとも、中長期的な自分の将来から目をそむけずに、今やりたいこと、今しかできないこと、今すべきことをひとつひとつ積み重ねて生きていこうと思います。
三寒四温のこの季節、どうかお身体にはお気をつけ下さい!

2004年2月のご挨拶

寒い季節、インフルエンザも猛威を振るっているようですが、みなさんお元気ですか?私はお蔭さまで 体調を崩さず、先月末の2つのコンサートを無事やり遂げることができました。ご来場下さった皆様、本当にありがとうございました。そしてコンサートを支え てくださった皆様、心より感謝申し上げます。

ひとつのコンサートを開くためには、大変なエネルギーが必要です。それでも、苦労をはるかに上 回る「音楽を通して自分を表現する喜び」、「皆さんに共感していただく喜び」のために音楽活動を続けています。ですが、他にも喜びはあります。それは「人 とのふれあい」です。今回2回のコンサートを通じて強くその喜びとありがたさを感じることができました。

一つのコンサートを通して、多くの 方との出会いがあります。一つのものを作りあげていく過程で心の交流があります。演奏者の方、企画の方、裏方で支えてくださる方。作り上げる熱意、支えて くださる温かい気持ち。一つ一つの出会いがとても嬉しいものです。そして聴きに来てくださる方々。私は何度か入院経験があるのですが、普段会えない友人に お見舞いに来てもらうことがとても嬉しかったのを覚えています。音楽をし、コンサートを開くようになって、いらしてくださるの方々のご好意によって、懐か しい友人、恩師にご挨拶できる幸せを心から感じました。

「指揮」という作業は、つまるところ「コミュニケーション」だと私は思っています。 いかに深く、そして余裕を持って演奏者の方とコミュニケーションをとることができるか、きわめることが指揮の道なのだと思います。心を開いて演奏されてい る方とは、言葉を交わさなくとも目が合うだけで、舞台上でも多くのコミュニケーションをとることができます。また表情や演奏する姿勢が無意識のうちに私に メッセージを下さっている方々もいらっしゃいます。逆に私に対して、音楽に対して心を閉ざして演奏なさっている方も一部いらっしゃいます。そういう方に は、どうしたら心を開いていただけるか、文字通り微力ではありますが、精一杯試行錯誤をしています。こうした心のやり取りこそが指揮の本質なんだろうと、 なまいきながら思っています。

これからも奥の深い指揮を探求していきたいと思います。

MFL管弦楽団 第3回定期演奏会

日時2004年1月31日(土)
場所三鷹市芸術文化センター 風のホール
演奏MFL管弦楽団
ピアノソロ土居 里江
指揮宮野谷 義傑
演奏曲
  1. チャイコフスキー 交響曲第5番
  2. ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
  3. グリンカ ルスランとリュドミラ序曲

もともとクラシック音楽の中心ではないロシアが近世になってどうして多くの作曲家を生み出すようになったか、私自身の解説を交えながら進めたコンサートでし たが、今回もおおむね好評でした。ラフマニノフのソリストの土居さんも「ずっと弾きたかった曲」とおっしゃっていた通り、ほんとうに心のこもった演奏で、 心に響く名演だったように思います。オーケストラもそれぞれの楽器がよく鳴って、スケールの大きいロシア音楽の魅力を十分伝える演奏会になったと思いま す。今後は細部の神経の細やかさまで表現できるよう練習を重ねていきたいと思います。

モーツァルト・モデルン演奏会

日時2004年1月29日(木)
場所こまばエミナース(東京都目黒区)
朗読藤岡 弘、(俳優)
演奏曲
  1. モーツァルト ディベルティメント KV 136
  2. モーツァルト アダージョとフーガ KV 546
  3. ベートーヴェン ~ロマン・ロランの言葉による付随音楽~
  4. 弦楽四重奏曲第11番 Op. 95 (arr. Gustav MAHLER) / (弦楽合奏版)
  5. 大フーガ Op. 133 (弦楽合奏版)

「新 しいクラシック音楽の提供の場をつくる"挑戦"」をテーマに、今回、モーツァルトモデルンが企画されたコンサートに、今回縁あってご協力させていただくこ とになりました。ロマン・ロラン「ベートーヴェンの生涯」を藤岡弘、さんに朗読していただきながら、合間にベートーヴェンの音楽を挿入する。ベートヴェン の人間的側面に光を当てようとしたこの企画は、その趣旨を全うすることが出来たと思います。と藤岡さんの「魂」のこもった朗読に引き込まれるように音楽も 深い表現力をもつようになる。そんな相乗効果が舞台上に生まれていました。
また、藤岡さん自身の人間味もこの舞台にはなくてはならないものでした。もっと多くの人に聴いていただきたいコンサートでした。この企画、継続されるとのことですので、微力ながら精一杯お力になりたいと思います。

2004年1月のご挨拶

2004年年賀状画像
明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、宜しくお願い致します。

昨年は世界では紛争、そしてイランでの大地震など痛ましい事 件や災害もありましたが、日本国内は大きな災害もなく、比較的平穏な一年だったと思います。しかし、我々の感覚の中では平穏であった実感や安心感はあまり なく、誰もが多かれ少なかれ、それぞれの環境の中で孤独感や無力感、虚無感などの不安と向き合い、闘っている日々を送っているように思います。情報が溢 れ、価値観が多様化して自分の居場所や役割を誰もが探し求めている、自分も含めて、そう感じています。

今年は申年ではありますが、あえて 「見ざる、聞かざる、言わざる」ではなく、どんな厳しいことでも、また一見自分に関係のないことや遠くの国の出来事であったとしても、「よく見て、よく聞 いて、そしてはっきり自分の意見を言う」ように努めて参りたいとおもっています。これはオーケストラの音楽作りでも、全く同じことが言えます。周りの奏者 がどう感じて吹いているのか、指揮者を見るだけでなく、周りの人を目でよく見ることは大切です。自分の音だけでなく、ほかの人の音をよく聴きながら演奏す ることは当然重要です。そして、何より自分はどう感じているのか主張して演奏することも、アンサンブルにはとても重要なことです。

音楽作りにも、自分の現実にも、そして自分の周囲の出来事にも自分の感覚を信じ、勇気を持って積極的に取り組んでいきたいと思います。